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みのりが生まれたよ、ばんざい!

1.            みのちんが生まれる前

  
みのちんが生まれる前に、奥田のおうちにはすでに3人も、女の子がいました。一番上は摩莉花ちゃん、2番目は優理奈ちゃん、3番目は枝里沙ちゃんです。みんな、かわいい女の子でした。

  パパは、時々、お友達のお家で生まれた男の子を見ると、うらやましそうにしていました。
  でも、もううちに子どもは3人もいるから、これで十分だ と思っていました。
  また、口でもそう言っていました。でもね、かあさんはそう思いませんでした。

  本当はうちに、男の子もいたらいいかも!そして、パパと、野球をしたり、サッカーをしたり、サーフィンに行ったり、そして大きくなったらバイクをつついたり、高校生くらいの年でもう車のこともなおせるくらいうまくなって、それから学校を卒業したら、パパみたいに素敵な自動車整備士になったらいいな!と思っていました。(女の子たちがなったらいいなと思うのは、かわいいおよめさんか、かわいいやさしい、子どもにすかれるお医者さんかな??でもこれ、よく考えたら、両方いっぺんになることができるね。)
  だから、男の子が欲しくって、ひそかに・・・こっそりと心の中でという意味です・・・パパがあかちゃんのもとをくれるようにいつもねらっていました。
  パパとかあさんは、けんかをしたとき以外は、いつも仲良くくっついて寝ました。かあさんはパパとくっついて寝るのが好きだし、パパもかあさんとくっついて寝るのが好きだからです。

  それは、とてもしあわせだし、いろんな仕事のつかれやこまっていること、いやだったこと、悲しかったことがこの幸せのおかげでちっぽけなものになってしまうからです。
  
そうやって、いっしょにいつも仲良く暮らしたので、どんどんうちは、あかちゃんができました。
  だから、パパは、もし
4人目ができたら、パパとかあさんが仲良しすぎるのがばれて、はずかしい とも言っていました。

  でもかあさんは、どうしてももっとあかちゃんが生まれてほしかったので、パパにとてもやさしくしました。
  パパもごきげんで、おとなのくせに時々わがままは言うけれど・・・おとなだって、時々わがままになってもいいんだよ、もちろん、だから子どもはもっとわがままでもいいんだよ、それが、『おうち』なんだよ・・・かあさんにとてもやさしくしてくれました。

  そういうわけで、めでたくかあさんはひそかにねらっていたとおり、3番目の枝里沙ちゃんが2歳のお誕生日会をして3ヶ月たった頃、みのちんがおなかに住み始めたことがわかったのです。
  でもパパをビックリさせてやろうと思って、ずっと黙っていました。
  おなかにあかちゃんが暮らすようになっても、おかあさんのおなかというものは、すぐには大きくはなりません。
  おなかのあかちゃんが、おとうさんからもらったあかちゃんのもととおかあさんのたまごがいっしょになって初めてあかちゃんという生き物になるのですが、それが、その日からかぞえて2ヶ月たってやっとおとなの親指のつめくらい、3ヶ月たってやっと小学2年生、あなたたちのおとうさん指くらいの大きさしかないから、最初のうちは、外から見ても誰もわかりません。
  おかあさんたちは、おなかの中でおとうさんからもらったあかちゃんのもとが、おかあさんのからだの中で一ヶ月に
1回でき上がって3日ぐらいしかもたないあかちゃんのたまごとちょうどうまく出会えて、そしてあかちゃんとしていのちがはじまったときは、目に見えないくらいの大きさですが、それが本当にあかちゃんとしていい成長を始めた時、つまり一ヵ月たったころ、毎朝気持悪くなって、おなかにあかちゃんができたことがわかります。
  だから、かあさんも、そのころ毎朝起きるころ、気持が悪い日が続くようになって、みのちんがおなかにすむようになったことがわかりました。
  でも、これは、毎朝気持は悪いけど、我慢していれば必ず1ヶ月くらいでなおってくるるし、この後は、どんどん楽しいことが待っていると思うと、毎朝気持悪いことも、起きる前のお布団の中で、なんだかうれしくてたまりませんでした。早くパパに言いたいけど、ナイショ、ナイショ といい聞かせて、黙っているのが大変なくらいでした。
  気持が悪いのも、そういうわけで、またあかちゃんが生まれて楽しくなる と思うと、わりとひとりで我慢できたので、パパは、かあさんが毎日気持悪いことに気がつきませんでした。
  そして、ずいぶんたって、だんだん本当にかあさんのおなかが大きくなってきたころ、まだ、『最近おまえは太ってきたぞ。』『下腹を突き出して子どもを抱くなよ。』『最近姿勢が悪いよ。』と言っていました。

  そして、ある日突然、『あさこ、おまえひょっとして、あかちゃんができてないか?』

とやっと言いました。
  正直言って、もう黙っているのは限界だったので、すごくホッとしました。
  やっぱりかくしごとをするのは苦しい!

  『うん、できてる。』とあっさり答えたら、パパは、『おれにだまって作って・・・』と言いました。
  でもちょっとしてから、『そんならそれで、おれにもつもりがある。』と言いました。
  それは、あとでわかったのですが、サッカーをやることでした。それから数日して、パパは、サッカーパンツを持って帰ってきて、みんなに見せて、『パパは、会社のサッカー部に入った。』と言いました。
  『もしも今度生まれてくるのが男の子やったらいかんからな。』と言いました。
  そして、会社の早起き野球にもまた行き始めました。
  かあさんは、これが、パパのあかちゃんへの準備なんだなと思いました。

  みのちんがおなかの中で住むようになって、かあさんのおなかが大きくなっても、上の3人のお姉ちゃんたちはやっぱりおかあさんに抱っこされること、上にほおり上げられること、『人間遊園地』されることは大好きだし、いっしょに寝ることも大好き(パパとおんなじ)で、お布団に入るときはご本を読むことになっていて、そのとき、いつもきまって摩莉花ちゃんはかあさんの右側、優理奈ちゃんは左側、そして、枝里沙ちゃんはかあさんの上でした。

  だからみのちんは、枝里沙ちゃんの下でした。
  それをすごく喜んで、ポコポコおなかの中で遊びまくっていました。こうして、みのちんは、おなかの中にいるときからみんなと仲良しで、おてんばでした。



2.            みのちんが生まれたとき

 

  生まれる前の日は、いつもなら土曜日、日曜日や連休の時は春から秋はサーフィンをしに車で3時間かかる中村の海に行ってしまうのに、たまたまこの日はパパのお友達の結婚式でサーフィンに行ってなくて、夜中の2時ごろ、お酒をお友達と結構飲んで、よっぱらって『あさこ−。』と言いながら帰ってきました。
  そういうわけで、サーフィンでいつもはいないはずの日に、たまたま家で寝ていました。

  パパが帰ってきて、出迎えてよっぱらっているパパを寝かせながら、おなかの中のみのちんの動きが、なんだかすごく出たがっているような気がしました。

  そしてパパといっしょに寝ていたけれど、ついに午前4時、おなかがキューキューして(これは、陣痛っていうんだよね。)、みのちんが、出たいぞー とさけんでいるのわかるくらいになって、寝ていられなくなりました。
  急いで飛び起きて、だいたい構えてあった荷物を車に積み込み、それから、摩莉花ちゃんから順番に起こしてトイレに連れて行き、服を着がえさせ、摩莉花ちゃんに優理奈ちゃんの手を引いてもらって、枝里沙ちゃんをかついで、パパに『いってきます。』といったら、パパが『なんだ?』というので、『病院。生まれるみたい。』というと、飛び起きてきました。
  パパはすごくよっぱらって帰ってきて、しかもまだ寝始めて3時間くらいしかたっていないから、かわいそうで、おうちに置いていこうと思っていたのに、
(子どもたちは、こんなにちいちゃくても3人ともとてもかあさんの話がわかってくれる子達だったので、かあさんはきっともうそんなに時間かからずにすぐに赤ちゃんを産み終わるだろうから、『2,3時間くらいたてばすぐに会えるので、3人におりこうさんで待っててね。』とお願いしたら、荷物に入れてあるオモチャや待合室のご本で3人で待合室で楽しく待ってくれるだろうと思っていた。)パパは、『おれも行く!』といって、ふらふらしながら、トイレに行き、着がえて、そこからは早かったよ。

  5月4日の朝の6時前、日の出はかなり早くなっていて、薄く明るくなった、ほとんど人も車もいない道を、パパは、お酒をのみすぎたせいで『気持悪い、気持悪い。』といいながら、一生懸命運転してくれて、すぐに病院に着きました。
  そこで、さっきまで大忙しだったかあさんは、車椅子に乗せられて、あかちゃんを産むお部屋に入り、突然ものすごくひまになりました。  

  陣痛っていうのは、おなかがほんとうにすごく痛くなるけれど、あかちゃんが今から生まれてくるときの陣痛は、あかちゃんのほうもおなかの中の、もといたお部屋から全身をはさまれて、ぎゅうって押し出されてくるので、おかあさんよりももっとあかちゃんのほうが痛いんだっていわれています。
  だから、かあさんは、産むとき、あかちゃんはもっと痛いんだろうなって思うと、自分が痛くても我慢できます。
  そして、生まれてきたあかちゃんに、『ほんとうに偉かったね。』て言います。
  それとね、ずっと痛いわけじゃないから。10分ごとに痛くなるときは、1分間くらい痛くて、残りの9分は全然痛くないし、5分ごとに痛くなるときは、残りの4分は全く痛くないから、その間は何でもできるんだよ。
  かあさんは、その4分の間が、今やっといた方がいいことやあれこれ、思っているいろんなことを急いで仕上げることにスリルがあって、いつもわくわくいそがしかったよ。

  そうして、いつもどおり、すぐにみのちんが元気よくフンギャ−と生まれてきました。
  ほんとうに偉かったね、みのちん。

  かあさんが、あかちゃんを産むお部屋から泊まるお部屋の方に看護婦さんに横に寝たまま連れて行ってもらったとき、なんと、パパはかわいそうなくらいしんどくて、ぐったりして隣のベッドに寝ていました。
  3人の子どもたちは、思っていたとおり、とても仲良く遊んでいました。
  『ただいま。』ていうと、いつものように『おかえりなさい。おつかれ〜。』ていってくれて、すごくすごくうれしかった。
  すごくお疲れが取れるよね、子どもにお疲れって言ってもらうと。

  点滴のお注射を持ってきた看護婦さんが、パパを見て、『おかあさんよりおとうさんのほうに点滴してあげたいね。』と言いました。

  かあさんがみのちんを産んだ病院は、おかあさんだけではなく、家族もあかちゃんも一緒のお部屋で一緒にお泊りできるというところだったので、退院まで、みんなで自分たちのお部屋で遊んだりお泊りしたりしましたが、パパだけは、『女の病院にとまるのははずかしいから、家に帰るぞ。でも一人で家にいるのは嫌だから、それに摩莉花は学校もあるから(このとき小学一年生)、摩莉花を連れて帰るぞ。』といって、摩莉花ちゃんだけはよく家に帰りました。

  そして、家族みんなで楽しい7日間を過ごして、お家に帰りました。みのちんのおかげで、ほんとうに楽しい日々でした。

  


3.           
みのりという名前をつけたわけ

  
これは、パパがいろいろ考えた名前の中からかあさんが選びました。

  パパは、上のおねえちゃんたちがみんな結局『り』という字のある名前なので、『り』を入れた名前にしよう といいました。
  そしていろいろ考えたけど、好きな名前は、結構おねえちゃんたちに使ったので、考えるのにまたまたとても時間がかかりました。

  『摩莉花』に似せた『麻里奈』も間違えやすそうだし、『優理奈』に似た『百合香』も、『ゆり!』て呼ばれた時に両方がふりむくだろうから・・・全然ちがう音にしなくちゃ・・と。一生懸命考えました。

  突然パパが、『みのりはどう?』と言いました。『やりたいこととかいろんなことを一生懸命やったら、努力が実る という意味。それと、おばあちゃんちがお百姓しているから、お米とか野菜とかが実るっていうことは、すごくうれしいことだから。』

  かあさんは、また別の意味で、すごく気に入りました。
  パパは、すごくサーフィンが好き。
  サーフィンの日本語は、『波乗り(なみのり)』です。
  だから、波乗りくらい、パパに愛される子 という意味で、賛成しました。
  『なみのりちゃん』ではあんまりなので、『な』をのけて、『みのりちゃん』にしました。

  して、みのちんは、ほんとうにパパにすごく愛される子になりました。

  『みのちん』という呼び名は、枝里沙ちゃんが4歳ころ、ロシアにエリツィン大統領という人があらわれて、ニュ−スなどでエリツィンの名前が出ると、えりちゃんがふりむくので、えりちゃんのことを『えりちん』と呼ぶようになりました。その妹なので、自然に『みのちん』と呼ぶようになりました。

  また、『みのり』というのがひらがなのままのわけは、一生懸命いい字を探したのですが、かあさんの仲良しのお友達に、姓名判断という、名前の漢字やひらがなで、幸せだったり病気になりやすかったりするという占いに当てはめても、とても幸せになってくれそうな『みのり』と読める漢字を探したのですが、どうやってもいい字画にならないといわれ、あきらめかけたら、突然、『ひらがなにしたら、最高よ!』と言われました。
  そこで、すぐに、ひらがなの『みのり』にしました。
  元気いっぱいで、自分も他の人も幸せにするような字画になるんだったと思います。



4.1歳のころ

  とにかくかあさんよりも、おねえちゃんたち3人がのとりあいこのように、みのちんをそだててくれました。

  かあさんがするあかちゃんみのちんのお世話は、おっぱいを飲ませ、おしっこにつれて行くことがおもでした・・というのは、みのちんは2,3ヶ月にはもう、結構お手洗いでかあさんがお歌を歌ってあげると、ウンコもおしっこもしていたからです。
  おねえちゃんたちがよってたかってみんなでみのちんのお世話を、お人形さんごっこのようにしてくれるので、かあさんは、みのちんのお世話の他に、みのちんにかあさんがしなければならないことをがんばりました。
  それは、昼間いっしょにいないすてきなパパのことを話してあげること、かあさんがやっているお洗濯や掃除
(お掃除は、ほんとうはかあさんは苦手なのですが、シンデレラごっこといって教えました。)を楽しそうに見せてあげること、お料理を見せてあげることであり、そしてもう一つ大事なことは、おねえちゃんたちがすてきな人達で、みのちんがこれから生きていくときに、とても大切にしなければならない人たちだということを教えました。
  だから、みのちんが、おねえちゃんの髪を引っ張ったり叩いたり、お姉ちゃんが大事にしているものを壊したりした時、とてもきびしく怒りました。
  でもそんな時、おねえちゃんたちは必ず、みのちんをかばいました。
  おねえちゃんが『○○しなさい』ということをきこうとしないときも、『まず、おねえちゃんの言うことを聞きなさい!』といいました。
  『おねえちゃんは、あなたと遊ぶために一番いい方法や順序を考えているのだから。』
  『おねえちゃんは賢いから、必ずみのちんにもいい事がおこるよ。』
  みのちんはとても賢いあかちゃんだったので、すぐにおねえちゃんたちがみのちんにどうしてほしいのかがわかるようになり、おねえちゃんたちにきびしく、同時に優しくしつけられて、おねえちゃん達が、触ってはいけない というものは絶対触らないし、順番を待ちなさい といわれると、必ずじっと待つようになりました。
  だから、おねえちゃんたちは、みのちんがいう事をとてもちゃんときいてくれるので、みんないつもみのちんをつれて遊んでくれました。 

  みのちんは、そのころまだ歩けなくて、『はいはい』から『たっち』になりかけていたころは、子ども達の間で『美少女戦士セーラームーン』がすごくはやっていました。
  だから、はいはいをしているみのちんは、ねこのルナか、アルテミスの役でした。
  また、子ども達は動物をみな飼いたがっていたけれど、おうちが借りたお部屋だったので犬や猫を飼えず、飼いたいね、飼いたいね、そのうちお庭があるお家に引っ越したら、飼おうよ・・と言っていたのですが、あるとき優理奈ちゃんがかあさんのところに来て、『かあさん、おうちってペット飼えなくても、みのちんがいるからいいよ。みのちんは、本当のわんちゃんやねこちゃんより絶対いいよ。だって、ウンコやおしっこをちゃんとトイレでするから、お手間かからなくていいし、すごく賢いし、おんなじもの食べられるし。』と言いました。
  それをきいて、摩莉花ちゃんもすごく賛成しました。
  当然枝里沙ちゃんも、となりできいていて、うんうんと言いました。

  みのちんはこのころ、『お手』と言われると、ちゃんとさっとお手々をおねえちゃんに差し出していました。
  『ごっこが終わるまで、ねこでいなさい』とか、そのあと立って歩けるようになってもちゃんとはっていけるのに、言われたことにしたがって、犬か猫の役を果たしていました。
  ですから、私は、仕事から帰ってきて、他の子達と玄関に出迎えてくれるみのちんのうごき、で、今日の役は犬か・・とか、みのちんの出す泣き声で、今日は猫か・・とか、ちゃんとわかりました。



5.3歳のころ

  みのちんは、お幼稚の七夕さまでも、小学校の七夕さまでも、たんざくかざりに、『お医者さんになりたい』と書いてありましたね。
   みのちんは、3歳のころはまだ自分で書けなかったので、お幼稚で先生が、なりたいものを書いてくれました。
  『セーラービーナスになりたい。』と書いてありました。
   お家でおねえちゃん達が、みのちんがお幼稚から持って帰ってきた七夕かざりを見て、何か相談をしていました。
  セーラービーナスの役も増えたみたい。
  奥田のおうちは、口に出せばいろんな願いがかなうおうちです。

  自分で、できるだけ理由を考えて、説明できること、そして『○○して!』じゃなくて、『○○してください。』とか『××お願いします。』とか、ちゃんとお口でお願いできたら、かあさんは、それに賛成じゃなくても、とにかく一端、子ども達のお願いをきいてあげることにしていました。
  かあさんが賛成じゃないときは、かあさんも賛成できないわけを、できるだけ子どもにわかるようにお話してから・・・たとえば、『セーラームーンソーセージが欲しい。』とソーセージ売り場で言い出したときは、かあさんは、『この値段はソーセージ代よりも、箱のセーラーム―ンの絵の方にかかっているから、ソーセージそのものはこれよりずっと安くできているんだよ。だから、あまりおいしくないと思うな。』といって、普段買うソーセージと一緒に買って、たべくらべてもらいました。
  すると、『かあさんが言っていたとおりだね。』てたいてい、かあさんが賛成しなかったわけを本当にわかってもらえました。
  結局箱代にお金をたくさん払ってもらっていることをわかってくれて、ちゃんとその箱をずっと大切にしてくれたりして、結局かあさんは、子ども達のことを、『本当に賢いな』と思いました。

  かあさんにもおねえちゃんたちにも、してもらいことがたくさんあるから、一生懸命考えて、それをお話するみのちんでしたが、本当にどうしてもできない時はわけを話すと、いつもちゃんとわかってくれました。
  お町を歩く時たいてい『かあさん、抱っこをしてください。』といつも言うので、いつも抱っこしていたけれど、かあさんが他の荷物がふえてきたりすると、『かあさん、たいへんでしょ。』ちゃんと降りて、他の子達と一緒に、『よいしょ、よいしょ。』と荷物を持ってくれていました。
  3歳になってくると、ただの抱っこよりも肩車が好きになって、お町の中でも『景色がいいから、肩車をしてください。』と言うようになって、これは、かあさんは、みのちんの楽しい気持がすごくわかるので、いつもきいてあげることにしていました。
  そしたら、8歳になった今でもすぐに、お町の中を歩く時は、肩車です。
   かあさんは、スポーツ選手ではないけれど、いつも二人の子どもや、時にそれに赤ちゃんを二人の子どもで抱っこをしたのを抱っこするのをせがまれたりして、そして今でも、こんなに重くなったみのちんを抱っこや肩車するので、ずっとトレーニングを続けているみたいに、子どもを生むたびにお肩や腕の筋肉がたくさんになりました。

  自分のことをすごくうまく話したり、先生の説明がよくわかったり、おねえちゃんやかあさんのお手伝いをいつもしていたおかげで、先生のお手伝いが上手だったみたいで、おむかえにいくと、いつも先生に、『みのりちゃんに助けてもらいましたよ。』とよくお礼を言われていました。

  言うことをを本当によくわかってくれるので、みのちんはおねえちゃんたちのお友達たちにもとてもかわいがられ、楽しがられて、おねえちゃん達がお友達に招かれたお誕生日会にいつもいっしょに招かれて??そして申し訳ないくらい一番たくさんのお菓子をお土産にもらって帰ってきます。


  みのちんを産んで、奥田家はみんな、とても楽しい思いをたくさんしました。
  これ
からも楽しみ楽しみ。

  本当を言えば、こんな子が育つから、かあさんは5人目もほしいです。みのちんも、妹がほしいって言うし・・・ね。