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好きなこと <スポーツ>

土佐女子短大での3ヶ月間のソフトバレー体育実技を終えて

奥田麻子 

 元来私はスポーツ、特に走ることと球技が大好きである。
 中学校3年のときに、とある下心・・転校したために、転校以前の彼、すなわち他校の水泳部員とステキに出会うために、彼のように“水泳部”に入ったものの、転校先では実際に練習に出てくるほかの部員達は、全員男子であったし、そうでない人も含めて、まずはスイミングに小学校の頃から通っている人たちがほとんど・・という中で、そんな下心だった私は、25mをターンする時には、他の部員が50mを泳ぎ終わってあちらのサイドで手を振っている という、入部時の理想とはかけ離れた現実の、スピードと泳力の差でもって、途中からは、それは何のまねじゃあと言われるマネージャーに転向していた。
 そういうわけで、私は水泳部上がりではあるとはいえ、当時は1500mを泳いでいたはずなのに、今は、50mは泳げるが75mは息もたえだえ、100mは、死にそうである。
  私が部活として水泳を選んだ理由は、この下心がほとんどであったが、水泳ではすべての運動に必要な持久力が身につく ということがあった。
 そのおかげで、何をやっても、跳んではねて、楽しんで、いくらでも長く出来てしまう、反復練習は時間のある限り・・というスポーツ人生になってしまった。

 
ソフトバレーという種目は、一度学校のPTAで30分ほどやったことがあったが、『なんだ、このビーチボールみたいでビーチボールでないボールの感触は・・!』というだけで終わってしまって、どうやら持久力による反復を、ああでもないこうでもないと楽しむのに必要とする私としては、まった何が何かわからないまま、楽しいのか楽しくないのかわからないままに終わってしまった。

 
ところが、とにかく今回の、土佐女子短大での実習は、楽しかった。いろいろととても納得した。

 
その都度各技術の向上について、先生から、また班のうちの一名から情報や練習方法が与えられ、それに基づいて、練習や試合が行われる。これまではとにかく自分の頭の中で、自分の肉体の動きを分析しながら、またうまい人のプレーを見ながらあれこれ試行錯誤して自分のプレーを編み出して??いったものだったが、こんなことが集団練習でなんて・・ととても意外な気がした。
 これまでのとにかく動いてみる、そして考える私のスポーツが覆されたひと時でもあった。

 
私が、バレーは飛んできたボールを腕や手だけで跳ね返す球技だである。
 それを腕や手だけでやっていては、つまり腕の半径という短いものでコントロールしようとすると、ボールはすぐに後ろや上に行きがちだとかいう発想や、それを前に持っていくには、おそらく体の前後運動で(これをテイクバックと言うのだというのも始めて知った)前の方への力のベクトルを加えなければ・・とか、跳ね返り係数の大きい、このボールというものを、瞬時にそのはね返り係数と入角とで壁に当たった時のように飛んでいく方向が決まるとすれば、どう考えても自分の胸に当たるはずである。
 それを、ホールドする時間を長くすることでできるだけ違う方向のベクトルを正確に与えるためには、自分が腰を落としながら受け、また腰を伸ばしながら、持っていく方向へのベクトルをまたボールに加えていくなど、あれほど自分が普通のバレーの時に苦労した、血こそ出なかったが、汗と涙の結晶は、いとも簡単に先生の口から説明されていた。
 なあんだ、漠然と感じていたことは、こういう風に理論付けられるのか、またそういう語句もちゃんとあるのか・・と感心した。

 
もう一つの私にとっての嬉しかったことは、みんながとにかく一緒に力をあわせて・・という、チームプレーであった。
 私達の班の人たちは、本当に一人一人性格が優しく、おたがいの上達を楽しみ、協力し、決して誰も失敗や弱気のレシーブに非難めいた視線も言葉も出てこなかった。
 今の日本社会では珍しいような感のある班行動であったことを最後に添えて、原稿を締めくくる。

 
橋本先生、本当にありがとうございました。

以上