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渡る世間は

  「渡る世間は鬼ばかり。」という言葉があります。ところが私の子供たちにとっては、「家庭の中も鬼ばかりなり。」だったということが、少しずつ理解できてきました。
  自分ができもしない理想論を子供に押しつけてきたんですね。
  家庭の中で、父親にしろ母親にしろ、2人は子供にとって最高権力者ですから、「そんなことではダメじゃない」「どうしてもっと強くなれないの。」「ドンとされたら、ドンとやり返せ。」と子供に叱咤激励していれば、こんなに気持ちのいいことって無いですよ。私の場合、自分が社会から感じているプレッシャーを、形を変えて子供に押しつけて1人悦に入っていたのと代わりありません。
  昔はこれで良かったのでしょうね。親が厳しくしつけても、どこかで子供を守ってくれる大人が世間にいたのですから。
 「家庭は学校の出先機関じゃないですよ」
  心療内科の先生に言われて、今まで自分が子供に押しつけてきた事の理不尽さを、かいま見た思いです。鏡に映ったその顔は、自分の都合に醜くゆがんでいるようで、ドキッときました。
  ある小説の中で「そんなことは世間が許さない。」と攻める知人に、主人公は「許さないのは世間じゃない。そうしないのは君じゃないか。」とつぶやく場面を思い出しました。
  「子供に世間を押しつけてどうするつもり?」と考えました。
  それから私は、学校へ行かなくなった娘(それは中学校2年から高校3年まで断続的に続いていたのに)との関係を再構築しようとして、許すのではなく、「ゴメンネ、今までの自分を許してね。」と言うところから始めたつもりです。
  そして、娘の話す小学校から始まっていた、イジメと呼んでもいい、つらかった学校の思い出に、唯ただ、うなずきながら、聞き入る日々が続きました。そうするうちに娘の気持ちがスッと自分の中に入ってきました。
 「ああ、この子は本当につらかったんだな。悲しかったんだな。」と言うことが、痛みとして実感できたと言うことかもしれません。多分、娘は、それを感じたのだと思います。それから少しずつ、心の振幅が収まっていき、元気を取り戻していったように思います。
  この春、娘は、京都の専門学校へ進学して、子供の頃からの夢だったいうファッションデザインの技術を学ぼうとしています。
  一方、親はだらしのないもので、時々心の中に鬼が出てきます。そんな時は、信頼という魔法の杖で、不安は期待に、心痛は希望に変身させて、娘とメール交換でもしてみようと、携帯電話と悪戦苦闘する今日この頃です。