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罪と罰

前田診療所 奥田麻子

  そのとき私はわが目を疑った。私の車がない!確かにそこにとめたのに。
  思わずうろたえて、もともとの、自分の契約の駐車の場所も見に走った。が、やはりそこにもなかった。出勤しようとしていたのだが、車がなくては、今日使うパソコンやその他の数々の荷物を運べない・・・。もう一度、車がなくなった場所に戻り、あちこち探したところ、なんと車を確かに止めていたはずの場所、乗り上げてあった歩道のアスファルトに、ガムテープで止めた張り紙をみつけた。なんと、それには、自分たちが車を持ち去ったという内容のことを堂々と書いてあり、おまけに返してほしくば、○万円の金を持ってくるように・・という金額とあわせて、金の受け渡し場所まで指定してあった。
  私は職場にパソコンその他を持って行くことをあきらめ、身軽な荷物で自転車に急ぎ飛び乗り、銀行に寄ってお金を引き出し、相手の指定の場所へと急いだ。
  金の引渡し場所についたのは、車が消滅したことにすっかり気が動転して、あわてて探し回り始めてからゆうに30分はたっていた。
   「金は持ってきた?」
   とたずねられたときに、私は手が震えて、うまく探し出すことができなかった。かばんの書類入れの中をまさぐったが、あるはずの銀行の封筒がない!どう探してもない!そんなこんなで、またかばんの中をまさぐっていると、相手はいかにも、この場に及んで手ぶらで来るようなまねは、まさかしないよな・・と言わんばかりの顔で、
    「金をあちこち隠しまわらんといかんほど、たくさん隠してあるのかね。」 といった。何とかこのイヤミにうまい切り返しをお見舞いしてやりたかったのだが、私は金を見つけられなくて、返事するどころではなかった。しかたなく、その朝寄って支払っていく予定であった家賃の封筒を出し、そこからいくらかを出した。とりあえずはそれで相手は納得したようであったが、
    「あんたの車はここにはない。ここから車で10分弱のところに、ほかのものが預かっている。そこで、この紙を渡すように。それと、残りの○万円は、一週間以内にここに振り込んでおくように。」  といって、また車を預かっているという場所の地図・・それはまたご丁寧なことに、仕事場とは全く逆の方向であった・・となにやらを書いてある紙を私に渡した。私は思わず、『車で10分弱・・といわれても、車はあんたたちが私から取り上げているじゃないの!ということは、車ではそこにはいけないから、今から自転車をまた10分以上飛ばしてそこにいかなければならないじゃない!』という時間のロスにいささかいらいらしながら、ひったくるように紙を奪い取り、また自転車に飛び乗った。

  斯くして、車は取り戻したのだが、どうも私はすっきりしない。こうして、私が今朝盗まれた愛車を如何にして取り返したかについて、その夜子どもたちを車に乗せて走りながら語っていたところに、なんと、犯人の一味が堂々と私の目の前を走り去って行った。私は叫んだ!
   『ぬぬぬぬぬぬぬぬ!あの人たちなんだって!かあさんの車を勝手に持っていった人たちは!うぬぬぬぬぬぬぬ!』
  彼らは、白と黒のツートンで、その屋根に、ハデな青と赤の回転灯をつけていた。
  確かに私は、駐車禁止である歩道に乗り上げて、夜中から駐車違反をしていた。しかし、何の理由もなく、では、もちろん、ない。私の友人が、親子で夜中に我が家に逃げ込んできていた。それをかくまうのに、車で来ていた彼女らの車が万一取締りにかかって駐車違反になって、罰金・・・・なんてことにでもなろうものなら、それは踏んだりけったりだと思った。考えた挙句、自分の駐車場を友人に譲り、夜中の4時に、そこに車を止めた。それでも止める前には、そこの道幅が十分以上であることや、周りに消火栓がないことを、一応丁寧に確認はしたのだ。違反であることは知っていた。したがって、私は悪者である。だから、罰金も払う義務があるし、車をレッカーで移動されても文句は言えない。
でも・・・・・。
しかし・・・・・・・。
そうとはいえ・・・・・。

  やはり私は一言、訊いてほしかった。ドウシテ ソンナコトヲ シタノカネ、と。そしたら、私がやむを得ず、その危険を十分知りつつ、私の大切な友人親子をそんな目・・・家で相当しんどい思いをした挙句に、駐車禁止で罰金○万円などという目にあわせるわけにはいかない・・・、彼女に違反をさせるよりも自分のほうが・・という思いであったことを説明できた。言い訳を聞いてもらいたかった。それで罪が軽くなる事はないにせよ、理由を聞いてもらいたかった。確かにしたことは悪い、しかしそこら辺りのどうでもの駐車違反の人たちと十把一絡げに扱われたくはなかった。私の気持ちを聞いてほしかった。事情を聞いてほしかった。
   私は、残念なことに、今キリスト教信者ではない。だから、空で神様がそのことを見つめていてくれるとしても、わかってくださるのだとしても、やはり地上の人類の誰かにもそれをわかってもらいたかったのである。私には、神様がついているとしても・・・、あの世でハライソにいけるとしても、やっぱり、目の前の人にわかってもらいたかったのである。

  ああ、大人だって、言い訳を聞いてほしい!大(だい)の大人で、社会で一生懸命働く大人には違いないけれど、甘えるようなんだけど、気持ちを聞いてほしい!

   その昔、なんだか余裕がなくて、言葉がきついときや、イライラで八つ当たりのようになったときも、夫に『お前は余裕がない!』といわれたが、それで余裕が出たためしはなかった。一生懸命やっていても、なんだかんだあって遅刻してしまうとき、その理由も一応聞いてほしい!そんなに簡単に責めないでほしい!物理の公式ではあるまいし、機械的に、事務的に扱わないでほしい!甘えているようだけど、責めるよりむしろ、いたわってほしい!悪いことをしたのは間違いないけれど、その事情をわかってもらいたい。悪いことが事実でも、やっぱりどこかでかばってほしい!

  そして私は、その日のうちに、うちの子どもたちにわかってもらい、そしていたわってもらって、ようやく気持ちが落ち着いたのであった。それが、私が交番に石を投げ込まなくてすんだ理由かもしれない。
  私にはいつもそうやって聞いてくれる子どもたちがいる。いつも慰めてくれる子どもたちがいて、本当に自分が立ち直れる。本当にありがたいことである。同じように、私の子どもたちに何かまずいことがあったときには、必ず言い訳を聞いてやろうと思うし、背景の事情や苛立ちを察して、そちらのほうをそっとサポートしてあげようと、日々心に固く誓うのである。

以上

  なおこの話は、ドフトエフスキー原作の『罪と罰』とは、なんら関係がない。したがって、確かに私も『裕福』と縁があるとは決して言えないような生き方をしているのは事実であるが、殺人を犯したことも、刑務所に入ったこともいまだかつてないので、誤解のないように。
   この話は、じわじわと罪を犯していく人間、そして、その罰という報いを受ける人間の心理描写が非常にたくみに描かれている話であるが、もうひとつ注目すべきは、きわめて簡単に書かれている最後の結末の部分ではなかろうか。彼を本当の正しい道に導いたのは、裁判でも刑務所でも、彼の罪の意識の深さでもなかった。それは、『彼は悪いことをした人間だ』という視線でなく、常に彼のことを肯定的に何年も待ち続けた女性の存在が、『どうせ俺は前科者だ!』という開き直りを作らせずに、本当に彼を更生させたのだ。だから、彼は、やり直せたのではないだろうか。
   人間は、ロボットでも親の作品でもない。だから、必ずしもよいことばかりをして生きていけるものではない。そんなときには、今の子どもも大人も夢中にならざるを得ない、何度でも『0からのやり直し』が好きなようにできるテレビゲームのように、『0からのやり直し』ができることは、大切なことである。人生において、家庭において、これまでの事を『またお前は・・』『どうせあんたのことだから・・』などと、事ある毎に蒸返されては、大人や社会への反感が育ちこそすれ、事態が改善することはないのである。
  また、家族の中でお互いが向上するためには、この話の結末で出てくる女性のように、悪い事態や、大人にとって不都合な状態が生じた時、家族こそが、お互いを他人事として否定的に扱うのではなく、肯定するべきなのではないか。

  人間が成長するためには、大きな社会とは違った、一般社会で否定されるべきことでも暖かく包んでもらえる小さな空間・・家庭や友達社会こそが必要なのである。失敗したことのない人間よりも、いろいろと自分で試行錯誤し、時には枠からはみ出した人間というものは、さすが一人で??修羅場を切り抜けてきただけあって、まじめに大人のいうことを聞いて要領よく生きてきた人間たちよりも、苦肉の策、とっさの機転や融通などがきく人間が多い。本当にかむほどに味がある。
  また、悪いこと、トンチンカンなことをしでかしてしまった人間に対する寛容さも生まれやすい。したがって、世の中での人間づきあいも、人間の扱いも、適度なものを心得ている。それに、自分に親や先生の思い通りにならなかった実績があるために、いくらかではあるが、自分の思い通りにならない子を怒りまくる大人にはなりにくい。結果的に、結構、子育ても柔軟で、試行錯誤しながらその時々の子どもの状態に応じて、対応を考え直すなどの手段を講じることも自然にできる。彼らが若くして子育てをする運命となったときに、育児書などをあてにせずに、現物である自分の子どもと正面から向き合う彼らの姿勢は、普通の家庭以上にとても暖かなものがあって、私にとって、本当にうれしい限りである。

おしまい。