自主トレ物語
奥田麻子
どこの家でもテレビが普及した3C時代の昭和40年前後をテレビのない家に育った私は、小学校の頃手塚治虫の『ジャングル大帝』と抱き合わせでかかっていた怪獣映画『サンダ対ガイラ』の中で、初めてみる『怪獣』というものが海で漁船を追いかけては人を食べ、陸地で建物を襲っては人を踏み潰す光景にいたたまれず、途中でロビーに出た。映画が終わり、重い扉から溢れ出てきた観客に映画の終わりを知り、父の席に飛び込んで発した言葉は、
「本当に怪獣っているの?」
であった。もちろん父は、笑って否定し、納得のいく説明をしてくれた。
しかしそれ以降、私にはその光景が焼きついて、子ども時代、怪獣映画となると場内には決して入らなかった。そして小学校時代に考えたことは、とにかく泳げること、とにかくいくらでも走れることであった。私の脳裏に焼きついたあの光景は、息が苦しくても疲れても、怪獣が追いかけてくることを思えば・・そんな奇妙な動機から、我ながら・・と思うが、がんばってよく泳ぎ、一生懸命走った。そのおかげで、スイミングスクールにいってもいないのに、結構泳げた。当時、私の小学校では、100m泳げる子どもが数人だけだったために、小学校対抗の選手として選ばれはしたものの、スイマーとしてスイミングスクールで鍛え上げられた他校の選手たちに大きく水をあけられて、すべてビリでゴールインした。これでは怪獣に食べられるのはまさに私だ・・・と思いながら、100m自由形レースの一番のビリを泳ぎきったのであった。
中3になって転校した私は、水泳部に所属していた、転校以前の友達と会いたくて、転校先で水泳部に入部した。女子部は部員数が少なく2、3人しかいなかったため、男子部と独立はしておらず、従って男子部員、しかも小学校の頃からスイミングスクールに所属しているメンバー達とともに泳いでいた。が、私が50m泳いだ時点で彼らは100mを泳ぎきっていて、プールの向こう側から手を振ってくれる状態で、私は1年間で選手を断念、マネージャーに転向し、部員がプールサイドで休憩している間にちゃっぷちゃっぷと泳いでいた。優しく楽しい、人の良いコーチは、相変わらず性懲りもなく、『いいよいいよ、一生懸命やってるんだから。』とそんな私を試合に出してくれた。そのたびに、アー、怪獣に食べられるのは私なのかな、それともとりあえずはうまく逃げ切れるのかな・・・と思いながら、レースでビリを泳いでいた。
父や母は、ビリでも、普段に1500m,3000m、5000mを泳いで練習をする私を「エライ、エライ。」としかいわなかったので、ビリでも練習がしんどくてもつらくはなかったし、試合のときも、ひょっとしたら一人ぐらいは抜けるかも・・という淡い期待を持って毎回出場して、アー、怪獣に食べられるのは・・・とやっていた。
そんな中で私が学んだのは、『ビリになる人間の気持ち』と、そういうときの周囲の温かな対応であった。そしてそれ以来私は、ビリや成績不振の人には、あのときに投げかけてもらった周囲のにこやかな安定した言葉や表情を持って対応できるようになった。
小学校の頃から怪獣を思い浮かべて走っていたためか、マラソンはずいぶん速かった。マラソンレースの最初のスタート時点の殺到がイヤで、出発の時には最後尾から走り始め、一番後ろから順次抜いていくのが異様に快感であった。
そのおかげで中学3年になって始めて入った運動部、すなわち高3の前半まで所属した水泳部の陸上トレーニングのマラソンでは、男の子も一緒でもビリにはならなかった。陸の上では何とか怪獣から逃げ切れそうであった。また腹筋背筋腕立て伏せも、なんとなく男の子たちと一緒にできてしまった。大学に入って、クラブ活動に参加こそしなかったが、合唱部の友達と歌い、ピアノを弾き、夏休みに自分達で自主的に病院実習に行った先の自治医科大学と横須賀米軍基地病院で、実習の合間の日曜日に硬式庭球を教えてもらい、そして大学でも放課後に時々、柔軟、腹筋腕立て伏せとともに新宿河田町の女子医大を出発して皇居を一周して帰ってくる11kmコースを一人で走っていた。それが功を奏して、子どもが生まれたときに、子どもを何時間でも抱ける筋力と持久力が出来上がっていったのである。
3人目が生まれたときの『子どもが喜ぶかあさん技』とは、『恐怖の3人抱っこ』であった。3番目の子どもを上の二人がしっかりはさんで支えているところを私が抱き上げてやるのである。子ども達は歓声を挙げて喜び、何度も何度もせがむために、子どもを抱いたりおぶったりしたまま走ってやることと並んで、必然的に、私のよきサーキットトレーニングになった。私は母になってからは、もしもエイリアンが襲ってきても(大人になったら、怪獣からエイリアンに昇格していた)絶対自分の子ども達だけは守れるように と体力を備えておこうと思っていた。
そして最近、南海大地震が必ず起こる と言われるようになってから、我が家では、自分が自分と自分の大切な人を守ることができるようになるために、まず自分が体力を持っておくことが大事かもしれない・・というような話に至った。おりしも長女が最近、何をするにも体力を持っているほうがよい・・・と思うようになったらしく、自主的に走ったり腹筋腕立てなどをやるようになっていたところに、この話をしたものだから、他の子ども達もみんな、彼女と一緒に走ったり腹筋や腕立て伏せをするようになっていった。するとたいしたもので、わが子4人と居候2人、どの子もどの子もどんどん体力が増していって、私が55回程やっている腹筋が、長女は70回、以前からやっていた次女はついに100
回になってしまったし、この間まで10回がやっとであった腕立て伏せも20回以上になってきた。夕方はまだ私が帰っていないので、付き合ってやってはいないがジョギングのほうも、以前よりもスピードも距離も伸びてきたとのことであった。
高校1年生の子どもと勉強していた現代社会の中で、『ヘルスプロモーション』という概念についての項目があった。これは、『生活習慣病については、これは個人のみの責任とせず、社会が保健センターなどの公衆衛生機関を中心として啓蒙、教育をし、またそのための環境作りをすべきである』という構想である。そこで私は子どもに話したことである。我々は、後進国の人間ではない。字も読めるし、本も図書館にいけばいくらでも読める、インターネットも使える。この恵まれた環境下では、自分の健康は社会にゆだねるのでも責任を社会に持たせるのでもなく、社会にがんばってもらう以上に、個人が自分自身のためにやってみるべきではあるまいか。社会は社会で、そういう仕組みがあるのもよいことだが、それに甘えず、社会にそれを要求する以上に、自分がまず動くべきであろう、自分自身のために努力を精一杯するべきであろう と・・・。それが本当にわが身を助けるのである。怪獣からもエイリアンからも、生活習慣病からも本当に・・・。
以上
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