奥田家のバカンス、七泊八日のカナダ旅行
その予感は、高知空港で自分達の車から荷を下ろし、カウンターに並ばんとするときから始まった。ひとこと、主人は言った、
「これで、今から飲める。」
そして次は、名古屋国際空港で昼食を取ったときに、またその予感はしたのである。主人の言うとおり、私は肝心の所がよくぬけ、主人にとっては信用の置けない人間である。そのことは今回も、私も本当に心から主人に共感した。名古屋空港で、私は自分のVIZAカードと、トラベラーズチェックを自宅においてきたことに気がついた。10分ほどさんざん迷ったあげく、結局勇気を振るって、主人にその告白をしたのである。その後の5分間は、想像におまかせする。
すっかり気落ちして、食欲もげっそり落ちてしまったところで、主人の「腹も減ってきた。昼飯にしよう。」という号令がかかり、昼食になった。そのときにまた、「今日はもう運転もないし・・。」とビールをなみなみと運んでもらい、さらに私へ文句がひとこと、
「おまえが日本においてきたトラベラーズチェックの2回の交換手数料でこのビールがもう2杯飲めたがぞ。」 と追加のお小言が降ってきた。
さて、国際線に乗り込み、席に着くときに、私は子どもと機内でする予定のことがあり、子ども達と座ろうとしたところ、やけに主人が私の隣に陣取り、
「えいき、はよう座れ。」 とせかし、結局小学生の子ども達は小学生でかたまってしまった。そして程なくその席順の意味が生きてくるのである。エアーカナダの飛行機のカナダ人添乗員さんに主人が積極的にしゃべった英語は、
「ビア―、ツー。」 である。飲み物、食べ物が来るたびに、堂々と、この英語だけはしゃべっていた。それは、あたかも妻のために妻の分もビールを頼んでいる美しい夫の姿を借りた、ただ2缶ビールを飲みたい人のしゃべる英語であった。いわく、
「5年前、社内旅行でオーストラリアに行った時、スチュワーデスさんが通るたびにみんなあでビア―、ビア―いいよったら、しまいにはこんなったき。」
そして、絶対運転をする可能性のない機内のアルコールをこころゆくまで楽しんでいた。と突然、飛行機が大揺れにゆれ始めた。そのとき、ほとんどの人が食事が終わり、主人のコップには、ただの水だけが入っていた。そのときバシャッと水が飛び散り、私は思わず、
「パパ、ビールでなくて良かったね。」 といった。主人も大きくうなずいた。しかしあとでよく考えてみれば、飛び散ったのがビールであったなら、ただそれらに吸いついて、「おお、もったいない!こりゃもう一本ビール頼まにゃ。おまん、こぼれた言えや。」で終わっていたであろう。
かくして、旅行中は、ああ、やっぱりビールこそは主人のガソリンだったのだ と実感させられっぱなしであった。日本ではもし車の運転がなければ、彼とビールの関係はいったいどうなっているだろう と思い、主人が車の整備士であることがいまさらにありがたく思われた。
我々のカナダ旅行(ウィスラー&ブラックコーム地方)の目的は、スキーであった。4人目の子どもが生まれる直前に、東京で私の同窓会があり、そのときに私は、主人にスキーの手袋、ゴーグル、そしてスキーウェアを買って帰ってきた。おりしもサーフィンの仲間の中にも冬にはスキーを始める人達がいて、主人はそんな中、冬でも一人で日曜たびに海へ行こうとするため、たった一人で行く海でもしも何かあったら・・と思う気持ちと、私も学生時代、ほんの何回かであるがスキーをしたことがあり、南国土佐に生まれて、あの雪の銀世界と大自然の中の滑走とに憧れる気持ち、もしまたあの銀世界を味わいたければ、この主人では、彼を差置いて、彼のしないことは絶対できない奥田家であるから、彼に対してスキーに水を向けなければならないとは思ったのである。
そもそも私たち女性は、平均年齢が男性よりも長い、そして、残念なことに男性達は仕事だけを中心に生きていると、退職後に思いがけないほど魅力を失ってしまいがちである。のちの子どものいない夫婦の人生でも、主人には素敵で居続けていて欲しいと思っている。(欧米では、スポーツは若い人のものではなく、一生の楽しみである。確かに、私達は、カナダでたくさんの70歳以上のスキーヤー達に出会った。)
また子どもができてからも、子ども達に「パパはすごい!」とか「すてき!」とかと思われる人でいてほしかった。目標となるような人でいてほしかった。(当時は、子どもがこんなに女の子ばかり4人になるとは思ってはいなかった。)男としての魅力も持っていてほしかった。だから、出産予定日間際でも、サーフィンには行かせてはいたが、さて、スキーのウェア、他をプレゼントしてみると、
「おまんに買うてもろうたき、行ってみんわけにも行かんなった。」 と結構にんにんして、よく会社の人達とスキーに行くようになった。サーフィンの方は、車に何人かで乗り合わせ、要るものはボードと水着、タオルぐらいのものでほとんど金がかからなかったが、スキーは板に始まり、泊りがけもあり、まあ、それなりにいろいろ金がかかるスポーツで、これまでとは裏腹であった。主人は結構几帳面、かつ凝り性で、いつも『彼には自動車整備士が本当に天職だ』と私も思っているが(私に向かってよく、「俺も人の命をあずかっちゅうがぞ。」という)、これと思うとなんでもやりきってしまう性格が効を奏して、3級、2級と検定試験を受け、ついには準指導員の試験に合格してしまったのである。このとき私は、もとをとったのかもしれない・・ とおぼろげながらに思ったのである。
しかし、実際準指導員になってみると、あいている日は教える方の人手に借り出され、子ども達が主人にスキーを習ういとまはなかった。そんなこんなでモンモンしているうちに、会社からの今回の旅行の話を頂き、それを利用して、主人がスキーにつれていって教えてくれるということになった次第である。それを主人の口から聞いたときには、本当に眠れないほどうれしかった。
かくして今回、うちの子ども4人と大人1人は専属コーチに7泊8日で密着トレーニング、本当は怖いはずのこぶこぶ(でこぼこ)斜面も含め(3女曰く、「こぶに激突したら、1個こわれたで。」)、急斜面もキャーキャー、ぎゃーぎゃーいいながら滑ったり落ちたりで、楽しく楽しく、お互いの上達に感心しながら、確かにどんどんみんな上達してしまったのである。そして、夕方からのアフタースキーはなんと、ロッジの屋外プール(もちろん温水・・とはいえ、プールから上がると、手すりはもう凍っていて、プールサイドは雪が積もっている!・・証拠写真あり)を楽しみ、結局一番下の小1の子は、初日は伏し浮きも十分でなかったのが、連日数時間のプールのお陰で、クロールで7メートルを1回の息継ぎくらいで泳げるようになってしまった。
主人のスキーの教え方も想像以上に上手で、思わず私も主人をあらためて素敵だと思えた日々であった。子どもが4人もいると、本当に主人のスキー好きへの(しゃれです。)投資も十分元を取ってしまったような気がした旅行であった。
そして何を置いても感じたことは、主人に対する結婚当初との比較である。私たちは、結婚当時新婚旅行には行かず、その代わりに上司や同僚に再三??言われていたとおり、主人の独身時代の愛車のオレンジ色の日産ローレルに別れを告げ、国産バリバリのトヨタのマスターエースを購入した。そして、長女が10ヶ月のときに、主人の両親と親戚とをそのマスターエースに乗せて、富士山まで3泊4日で旅行をした。あのころは、子どもを抱いて、涙、涙で主人についていくこと再三、叱られてばかりであったが、なんと気がついてみると、主人の気が長くなったこと(待ってくれる!)、子どもへのものの言い方、私への思いやり、譲り・・まあ、これまで日々の生活の中では全くといっていいほど気がついていなかった主人の、父親として、また夫として、そして男としての成長には目を見張るものがあったことにはいまさらに驚いた。これが私にとっては一番の大きな収穫であったと思う。
欧米人は、私達日本人にはないやり方でバカンスと呼ばれる長期の家を離れる休暇を取る。彼ら曰く、「日常の生活を時々脱しなければ、本当の休息も取れないし、普段の自分達の姿の見つめなおしもできないんだよ。」と。私はこれまで、少し休めば十分だし、自分達のことも十分見つめあっているつもりであった。しかし、今回初めて彼らが言っていた意味、「ASAKO、休めよ、休息は人生の質を良くするよ・・。」がやっとわかったような気がしたのである。
また、主人がスキーのために本州の方にとまりでしょっちゅう出かけるようになって、そのお陰で、以前は「酒もはいらんときに、ひとなか人中で飯が食えるか!」といって全く外食をしようとしなかった主人が、(結婚前も砂浜か車の中で、焼き鳥とか冷やしソーメンとか、ジュースなどをごちそうになったが、喫茶にもレストランにも入ったことはなかった)今回は見事にひとなか人中でアルコール抜きでも食事ができるようになっていたことも、驚くべき成長の発見であった。
このような大切な意味と、意義とのある企画を下さったことを、家族一同高知トヨタの皆様に心から感謝して、筆を置きます。
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